自然哲学アカデミーにお越し下さりまして誠にありがとうございます。
本サイトは、「研究」を「習い事」のように楽しみながら実践する事が出来る世の中を創りたいという想いから設立致しました。研究というと何だか仰々しいイメージがあるかと思いますが、簡単に言うと、
- 自分の興味のある事について深く考え、観察し、そこから新しいものを創りあげる
- 純粋に幸せな世の中を創りたいという想い
上記を目指したものが研究だと思って頂ければよいと思います。(正しい定義ではありませんが…)また、「研究」というと長いあいだ高等教育を受けた限られた人だけが行うしきい値の高い行為だという認識が強いと思います。また、教育はしっかり受けたものの、教育期間が終わってしまったらそれでおしまい、という方も多いかと思います。しかし、研究はやる気と根気さえあれば誰でもどこでもいつでも、出来るものだと思うのです。
…そこで、本サイトでは、特に下記に挙げる方々に、ぜひ研究の楽しみを知って欲しいなと、思っております。(勿論それ以外の全ての皆様にも楽しんで頂きたいですが)
例えば、学生時代はとても優秀な女性の学生が沢山いて、大学院に進学して研究成果も優れたものを発表するまでに至り、その後大企業に就職して最先端の研究・開発を行うも、結婚後に退職して家庭に入って主婦となり、研究からは遠ざかってしまう方も多いと思います。人口的にはこのような方は今の日本だとまだまだかなり多いと思います。しかし、もし彼女達が家庭にいながらにして研究を行う術があるとしたら、どうでしょう。習い事のような感覚で再び研究に携わり、しかも利益や義務に囚われる事なく純粋に自身の幸せの為に研究出来る環境が整ったら、世界は大きく変わるのではないでしょうか?(いつの日か、主婦がノーベル賞を取ったらカッコよくないですか?!)
また、研究は年齢も関係ありません。中学生や高校生でも優れた業績を上げる可能性は十分にあるのです。中高生の習い事の一環に研究があったら、柔軟な思考の若い彼らが優れた成果を発揮する事が出来るかもしれません。しかも中高生のうちから研究に携わる事で、彼らが大学に進んだ後の研究活動にも一層のアドバンテージを生む事が可能になります。
あるいは、大学で文系に進みはしたものの科学に興味のあるという人も多いと思います。そういう方々が仕事終わりに習い事として自然科学の研究を行う場があったとしたら、より世界は良い方向に進めるのではないでしょうか?(本来研究において理系文系という垣根は今や重要ではないと思いますが…。また、勿論、理系出身の人が文系の研究を習い事として行うというのも含めます。)
このように、現在研究を生業にしている人以外にも、優れた成果を生み出す可能性のある人は大勢いると思うのです。本サイトはそういう方々に焦点を当てて、楽しみながら趣味として研究を始められるような場を作りたいと思い、サイトを立ち上げました。ゆくゆくは習い事らしく対面での「研究塾」のようなものも立ち上げたいと思っているのですが、現状は管理人が本業の傍ら運営をするため、暫くはネット上でかなり不定期な発信になりますが、細々と続けて行けたらと思っております。
そして、本サイトの名前にもなっている自然哲学ですが、凄く簡単に言ってしまうと、科学という言葉の昔の表現です。昔は科学と哲学は強い結びつきがあり、切っても切り離せないものでした。また、それに留まらず、殆ど全ての学術的な分野が自然哲学として一つの枠組みの中に納まっていました。今は科学や哲学は分野が異なりますが、やはりこれらは一つのものとして考える必要があると思い、本サイトの名前に付けさせて頂きました。本サイトでは様々な科学技術について触れようと思っておりますが、その技術や知識自体がメインではなく、その根底にある、「それをどう使うか?それについてどう考えるか?」に特に焦点を充てております。このようにして、「科学」のみならず、「哲学」にまで範疇を広げていきたいと思っております。
そこで、本サイトが展開する「研究」における土台となる考え方は下記の通りとなります。
一 自分の頭でしっかりと物事を考える
二 自分自身の幸せを見つける
三 優しさを土台にした知識・技術を築く
一 自分の頭でしっかりと物事を考える
一人ひとりがきちんと世の中の事を考えて、自分の力で社会を動かしていくという意識を持てる世界であって欲しいと思います。社会に与えられたものをただそのまま使う“ユーザー”になるのではなく、きちんとそれがどういうものか、どういう意図があるかを判断し、時にはこれは良くないと、はっきりと社会に対して発信できるような自主的な行動が、今後の世の中を良い方向に変えていくために必要なことだと思っています。その為に本サイトでは色々な考える種を蒔いていきたいと思います。
二 自分自身の幸せを見つける
「幸せ」とは何でしょうか?誰が決めるものでしょうか?
幸せの定義は人それぞれでありますが、幸せというものはそもそも、周りの環境が与えてくれるものではなく、自分自身で得るものだと思います。だからこそ、日々色々な側面から物事を考え、行動していく癖をつけていくことで、自分なりの幸せを手にして欲しいと思います。(勿論、幸せは考えるものではなく感じるものではありますが、自分が何に幸せを感じるかを知るのはとても重要なことだと思います)本サイトを通してそのお手伝いが出来ればと思っております。
三 優しさを土台にした知識・技術を築く
今まで、Smart TechnologyやSmart Peopleなどと言われるように、優秀な技術や優秀な人材を育成する為に人類は必死になって進化してきたと思います。それ自体はとても良い試みであるし、人類が進歩していく上で必須なものであると思いますが、ここで一つ、考えても良い事があるのではないかと感じています。それは、優秀な人や技術というものは、世の中を「便利」には出来るけれど、必ずしも「幸せ」な世の中を作れるわけではないのではないだろうか?という事です。いつの時代も、「幸せ」な世の中を作るのは「優しい」人々なのではないかなと個人的には感じております。優秀な人材を育てる為に色々なカリキュラムが組まれ、小さい頃から塾や予備校に通わせ、必死になって有名な大学に入れるというスタンスが当たり前な世の中になっていますが、勿論それはそれで重要な事であると思いますが、それ以上に、人類はもっと、自分たちが「優しくある」事を重視した方が良いのではないかなと思っています。技術がどんなに進歩しても相変わらず紛争や闘争など争いごとが絶えないのは、「優しくある事」を疎かにしているからではないでしょうか。一部の人達は食べきれない程のご飯を食べるだけの余裕があり、その他にもいくらでも贅沢が出来る暮らしをしている一方、その何十倍もの数の人々が、生きる為に必要最低限の食糧すら手に入れられないという状況がいつまで経っても変化しないのは、人類皆が「優しくある事」を疎かにしているからではないでしょうか。今の世の中だと「優しさ」はあまりお金にはならないし、社会におけるキャリアにおいても必ずしも評価される項目に入っていないと思います。でも本来はそれが一番最初に来るべきなのではないかなと僕自身は感じています。どんなに便利な世の中よりも、多少不便でもお互いが助け合い、協力して、皆で一緒に生きていく方がよっぽど幸せなのではないかな、と思うのです。
このサイトでは以上のような考えを重視したいと思い、ただ「優秀な人」になるのではなく、「優しくて優秀な人」になれるような在り方が出来たら良いなと思い、運営を行います。
ということで、あまり今までには無かった試みをしようと思っており、試行錯誤的に進めて行きますので、至らない点が多々出てくるかとは思いますが、暖かくお見守り下さりましたら幸いです。
2021年1月吉日