5粒目:信じる

その人の全てを受け入れる

ということだと思います。上手くいく可能性が高いからその人を信じる、上手くいきそうにないから信じない、というのは本当の意味の「信じる」ではないと思うのです。それは、言ってみれば高い確率に「賭ける」のと同じだと思うのです。その人がたとえ失敗してもそれも含めて受け入れる。そういう覚悟を持つことが「信じる」ということだと思うのです。例え可能性が低くてもその人が出来ると思ったら、一緒にそう思うことが出来る。それが「信じる」ということだと思います。高い確率に賭けるだけだと、失敗した場合にはその人に失望してしまうでしょう。でも全てを受け入れることが出来れば、たとえ失敗しても一緒に悲しむことが出来るし、一緒に反省も出来る。そして、やり直せば次は必ず出来ると引き続きその人を信じ続けることが出来るのです。高い確率に賭けてそれが当たった場合、それは確率が高いのだから当たり前だと思ってしまいます。そうすると、その人の努力や頑張りを見ることがなくなってしまうでしょう。全てを受け入れた上でその人が成功したら、その人が頑張ってきた全てを認めて、一緒に祝福できるでしょう。それが、信じるということではないでしょうか。心から誰かを信じるという行為は、相手の気持ちに寄り添い、認めてあげて、受け止めるという行為です。だから、互いに信じ合える人たちは心が通い合って暖かい気持ちでいられるのでしょう。本当にチームワークの良い組織は、互いの失敗を自分のものとして受け入れて互いに対処し合い、成功した場合は皆のものと認識できる。そういう組織にいる人たちは本当の意味で互いに信じ合えているということだと思います。

当たり前のようにも見えますが、心から信じるという行為は、実践するのは意外と難しいのではないかなと思っています。どうしても、出来るか出来ないかという可能性を考えてしまうし、自分にとっての利益・不利益も考えてしまうと思います。心から信じるという行為は、そういう自分が被る全てのリスクも含めて相手を信じるということなので、本当に実行するのは中々難しいことだとも思います。でも、そういう想いを目指して生きていきたいものです。

世界中の皆がそんな感じでお互いに信じ合える世界になれると良いなぁと、思いました。

ところで、「信じる」という言葉は、言い換えると、「委ねる」という言い方も出来るかと思います。自分が被る全てのリスクも含めて相手に委ねる。それは心から相手の事を信用して全てを任せないと出来ない尊い行為だと思いますが、一点忘れてはならないことがあると思います。それは、まず前提として、「自分を信じる」ことだと思うのです。信じる対象が全て外部のものだとすると、それは半分依存している状態にもなってしまうと思うのです。つまり自我がない状態です。子供はみんなそれで良いと思います。子供は最初は親を無条件に信用しています。全て親に託しているのです。それから育って徐々に自立していくにつれて、少しずつ自分を確立させていきます。その時に自分を信じるということを学ぶのだと思います。それがあって初めて、相手を信じるという行為をする自分を信じることが出来るのです。それがないと、信じた相手が何か失敗したときの行き場がやはり失われてしまうと思うのです。相手が失敗しても信じた自分を否定しない。最後まで信じぬく事が出来る。それは、何よりも最初に自分を信じているからこそ出来ることだと思うのです。例え相手を信じても、最終的に自分に降りかかるものは全て自分の責任だと思える心が、何よりも大事なのだと思います。

4粒目  目次に戻る  6粒目

「5粒目:信じる」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です