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東日本大震災から10年が経ちました
今日は東日本大震災からちょうど10年。
10年前のこの日、僕は日本音響学会の研究発表会で早稲田大学に来ておりました。後輩が発表するセッション中に地震が来て、その大きさに一時中断して皆で建物の外に出たのを今でも覚えています。結局学会もそこで中断。しかし電車は全てストップし、近場の役所が開放されていてそこで一晩皆で過ごしました。そして、役所のテレビで現地の惨状を観ていました。
実は、この震災による被害の大きさや被災者の方々の辛さは、理解しているつもりで、どこか他人事のように感じていた事に、恥ずかしながら最近気が付きました。
自分に子供が出来て、彼らへの愛情が増す度に、彼らを失う事の辛さも理解出来るようになってきました。その上で色々なニュースや記事で被災者の皆様の話を観て、初めてその辛さを自分の事として想像出来るようになってきたのです。(でもこれもあくまでも“想像”なので、実際に被害に逢われた方々の本当の辛さや苦労は、当事者にしか本当には分からないものだと思います。それでも、少しでも、他人事ではないという感情を持てるようになりました。)
そして子供が出来て、今ある日常がどれだけ幸せな事なのかも実感出来るようになりました。例え日々色々と嫌な事や大変な事があったとしても、毎日子供に会えて、夜一緒にくっついて寝られるという事がどれだけ幸せな事か…。
こういう災害を観ていると、これこそ正に科学の力が本来発揮されるべき場所なんだと思います。震災後に防潮堤の建設やその他様々な対応がなされていますが、もし…、もしも、もっと前から災害の可能性を検知出来て、未然の対応が出来ていたらと思うと、まだまだ科学はやらなければならない事が沢山あるのだと思いました。災害が起こる可能性や起こりそうな場所をより正確に把握して、災害を未然に防ぐ。それが出来れば数え切れない程の未来の命を救う事が出来ます。
科学は、人々の日々の小さな幸せを守るためにあるべきなんだと思います。争いを助長したり一部の人だけが得をするような使い方をしていたら、いつまで経っても世界全体が幸せになる日は来ないんだろうと思います。自然災害は起こる事自体は避けられない面もあると思うのですが、人の争いは避ける事が絶対に出来るはずなのです。それでも災害と同じかそれ以上の頻度で争いが起こっていてかつそれに科学の力も使われている世の中を見ると、人間が進むべき方向はこれで大丈夫なのかなと思ってしまいます。ちっぽけな争いをするくらいなら、もっと皆で協力して、自然災害の被害を最小限に留める努力をしていきたいです。そういう為に科学の力もフルに発揮出来ればと思います。
今日は10年前と同じ日本音響学会の研究発表会の最中です。コロナ禍で残念ながらオンラインでの発表会ですが、日本音響学会の会長の伊藤彰則先生の「災害と音響学」という特別講演があり、ちょうど講演終了時間が震災が起こった時間となりました。講演の中で、東日本大震災が起こった後に音響学会が災害に向けて音響学の視点から何か出来ないかと様々な方面からの研究を重ねてきた様子を伺い、大変刺激を受けました。自分も研究者の端くれとして、改めて、何か出来ないかなと思いました…。
また、この震災では原発についての大きな課題も見えてきました。正常に稼働している間はとてもクリーンなエネルギーで大変効率が良く、そういう意味では環境に良いエネルギーなのですが、このような事故が起こった際のリスクの大きさも同時に持つ技術であるという事が分かり、今後の対応については世界で判断が分かれている所だと思います。今後も使うべきなのか、使わないべきなのか…。使うとしたらどういう対策を取るべきなのか…。様々な議論が繰り返されていますが、まだ日本という「国」としての明確な答えは出ていないようですね。(個人的には、命に代えられる便利さなどはないと思いますが…)どちらにしてもこういう問題は、国や一部の研究者に任せるのではなく、国民全員が真剣に考えていくことが重要なのだろうと思います。自分に出来ることはまだあまりありませんが、ここで述べたように、問題について自分でもよく考え、そして、研究者の端くれとして何か技術的にも役に立てることがないか、日々考えていこうと思います。
東日本大震災の犠牲になられた方々のご冥福を、そして、被災され今も苦しい状況の中で頑張っておられる方々が少しでも前向きに幸せな生活を取り戻せることを、心よりお祈りします