東日本大震災とウクライナ侵攻と、平和への願い・・・

今日で東日本大震災から11年が経ちますね。昨年は10年という節目だった事もあり、ニュースなどでも大きく取り上げられていましたが、今年は現在のウクライナの事情もあり、やや情報発信という部分では少ない感じもしますね。また、東日本大震災に関するいくつかの支援活動なども10年の節目で終了したという事も聴きます。一方で、あまり過度に情報が出回る事も、被災された当事者からすると思い出したくない記憶が蘇ってしまう事もあり、難しい部分もあるようですね。
僕がこの震災について記事を書いているのは(と言ってもまだ昨年と今年だけですが…)、おこがましいかもしれませんが、少なからず自分も当事者という認識があるからです。現地で被災された方に比べれば全く何も無かったのと同じようなものですが、それでも、当日は学会発表中に大揺れが来て皆で避難し、その日は帰れなくなり、皆で公民館みたいなところで一泊して、その翌日も大学には戻らず1週間程実家に帰って、その間も計画停電などを経験しつつ、現地の状況を日々ニュースで観ていた記憶があり、さらには学生としての、博士課程最後のイベントである卒業式も無くなったりと、色々な経験をしたことから、自分の事としてこの震災を受け入れている、というところがあるからです。
自分が体験していない事にも目を向けて後世に生かすという事もとても重要ですが、自分が体験した事を忘れずに発信する事も大事なんだろうなと思って、今この文を書いています。
そして、今はロシアのウクライナ侵攻の問題もあり、世界は大変な状況になっています。東日本大震災は自然による災厄ですが、ウクライナ侵攻は完全なる人災だと思います。しかし、やっと今、その人災の中で世界が手を取り合って協調して問題を解決しようとしていますね。皮肉な事ですが、人間は悪が生まれることによって一致団結して平和や正義が生まれるということが多々ありますね。(国レベルではなくもっと身近なグループでもそうですよね。共通の敵が出来ると団結するという…)彼の行動を肯定するつもりは全くありませんが、プーチンさんの行動が起点となって世界が団結したというのが何とも皮肉なものです。でもそれは逆に言うと、平時において団結する心が少なかったから、とも考えられるのです。もしも、数年前から今のように欧米日諸国が手を取り合って、自分達のリスクもきちんと受け止めつつ困っている人に手を差し伸べるような世界であったら、プーチンさんは果たしてウクライナに侵攻出来ていたでしょうか?恐らく無理だと思います。初めから皆が手を取り合っていれば、侵略する隙が無かったと思います。人間はどうしても、平時の間は自分達の利益優先でバラバラな行動を取ってしまうのでしょうね。
さらに考えてみると、国が自分達の利益しか求めないのも、国民一人ひとりが自分の利益しか求めないから、なのだと思います。国の行動は個人の行動の積分値だと思います。(今のロシアに関してはそうとも言えなさそうですが…。国民の総意が反映されない仕組みのようですね。でも今はロシア国内でも反戦デモが広がっているようなので、ぜひ国民の皆様の手でこの侵攻を止められたらステキですね)そしてそう考えると、今回の事態は世界の全ての人が引き起こした事態だとも言えると思うのです。バタフライエフェクトのように、私たち一人ひとりの小さな言動が、巡り巡って世界の反対側に大きな影響を与える可能性は多いにあるのです。そう考えて初めて、ウクライナ侵攻は他人事ではなく全世界の責任なのだと自覚ができるのだと思います。多分、この考え方が重要で、今回の事態を何とか上手く収められたとしたら、その後にしなければならない事は、我々一人ひとりがもっと協調して手を取り合って生きていくことを継続することなんだろうな、と思います。プーチンさんをただ否定したり裁くだけでは根本は解決しないと思います。ましてや、ロシア人全体に対して嫌悪感を抱くという風潮も一部では見られるようですが、それでは何も解決出来ないどころか、新たな差別や侵略が始まってしまう可能性すらあります。
上述のように、悪が現れた時に正義が立ち上がるのだとしたら、今まさにこの状況下において、悪を倒す事だけでなく我々人類が進むべき道を明確化して、平時に戻った時に忘れないように文面に残したりルールを制定したりする事も大事な事だと思います。
そして僕達が個人としてするべき事も、自分の利益の為だけに動くことではなく、困っている人たちを助ける為に動く事だと思うのです(当たり前の事なのかもしれませんが…)。人は一人では生きていけません。今後もまた独裁者が現れるかもしれないし、そうでなくとも、自然による大災害の危機は至る所で常にあります。世界の全ての人が手を取り合って行動していかないと、結局は皆で全ての不利益を被る事になってしまいます。自分達の利益の為だけに動く、と言っている「自分達」の枠組みが小さいのだと思います。今はそれが大きくてもせいぜい国一つのレベルだと思います。しかしそれは、自国の利益の為に他国には不利益を被って貰おうということを、平然とやっているのと同じです。だから国同士の争いが生まれるのです。他国を侵略しようという発想もそこから生まれます。もし、国を超えて困っている人を助けるという意識が多くの人に芽生えていたらどうでしょう?恐らく国という枠の境界線がもっと緩いものになると思います。人類全体で一致団結出来るようになるのではないかな。米国に比べて欧州諸国はエネルギー関連でロシアに依存している事から制裁に躊躇する場面もあるというニュースが出ていますが、そういう時こそ、欧州だけでなく米国も日本も混ざって、まずは欧州が被るであろうリスクを皆で分け合って負担を分担する、という流れを作る事も必要なのではないかなと思います。意外とまだ各国のリスクは各国それぞれの責任だと考えているところが多いような気がしています。エネルギー関係も、米国が欧州に比べれば比較的余裕があるのであれば、ロシアから調達出来なくなる分を少しでも欧州に渡してあげるとかの仕組みがあっても良い気もします(実際にはそういう話しは出ているのかもしれませんが、少なくとも一般的なニュースではあまり見かけないので、そういう取り組みが重視されているという事はなさそうな気がします)そんな感じで皆でリスクも不利益も分担しよう、という意識が世界にあると、もっと良くなると思うんですけどね…。
 短期的な利益はないかもしれませんが、困っている人を助けるという事は、未来の自分自身を助ける事に繋がるのだと思います。例え今自分が不利益を被るとしても…。空間的にも時間的にも、もっともっと広い視野を持って、その上で利益を求めるのなら、上手くいくのではないかな…。そうすれば、国も変わるし、国同士の関係も変わると思います。これは政治家だけに任せることではないような気がするのです。結局は一人ひとりの意識が全てに反映していくのだと思います。
と、長くなってしまいましたが、まぁ要するに、平和が一番だよね、という話しでした…
東日本大震災もウクライナ侵攻も、大きな被害を受けている人が大勢います。僕自身がこれらに対して出来る事としたら、東日本大震災に関しては、自分が持つ科学技術の知識や経験を活かして今後の災害支援や防災に役立つ何かを考え出し、生み出す事であり、ウクライナ侵攻に関しては、大きな事は出来ないけれど、こうやって意見を発信したりして意識を共有することくらいかなぁ、と思っています。後は募金するとかそれくらい。もしかしたら、自然災害より人災の方が止めるのが難しいのかもしれませんね…。人の心が関わってくると、今の科学の力だけではどうしようもない部分も出て来るので…。
でも、1人の力は大きくないかもしれないけど、1人ひとりがそれぞれの長所や特徴を活かして効果的に少しでも動けたら、少しは平和が近づくのかなぁと、感じています。
というわけで、皆で一緒に頑張りたいですね!!
#東日本大震災 #ウクライナ #ウクライナ侵攻

東日本大震災から10年が経ちました

 

今日は東日本大震災からちょうど10年。

10年前のこの日、僕は日本音響学会の研究発表会で早稲田大学に来ておりました。後輩が発表するセッション中に地震が来て、その大きさに一時中断して皆で建物の外に出たのを今でも覚えています。結局学会もそこで中断。しかし電車は全てストップし、近場の役所が開放されていてそこで一晩皆で過ごしました。そして、役所のテレビで現地の惨状を観ていました。

実は、この震災による被害の大きさや被災者の方々の辛さは、理解しているつもりで、どこか他人事のように感じていた事に、恥ずかしながら最近気が付きました。

自分に子供が出来て、彼らへの愛情が増す度に、彼らを失う事の辛さも理解出来るようになってきました。その上で色々なニュースや記事で被災者の皆様の話を観て、初めてその辛さを自分の事として想像出来るようになってきたのです。(でもこれもあくまでも“想像”なので、実際に被害に逢われた方々の本当の辛さや苦労は、当事者にしか本当には分からないものだと思います。それでも、少しでも、他人事ではないという感情を持てるようになりました。)

そして子供が出来て、今ある日常がどれだけ幸せな事なのかも実感出来るようになりました。例え日々色々と嫌な事や大変な事があったとしても、毎日子供に会えて、夜一緒にくっついて寝られるという事がどれだけ幸せな事か…。

 

こういう災害を観ていると、これこそ正に科学の力が本来発揮されるべき場所なんだと思います。震災後に防潮堤の建設やその他様々な対応がなされていますが、もし…、もしも、もっと前から災害の可能性を検知出来て、未然の対応が出来ていたらと思うと、まだまだ科学はやらなければならない事が沢山あるのだと思いました。災害が起こる可能性や起こりそうな場所をより正確に把握して、災害を未然に防ぐ。それが出来れば数え切れない程の未来の命を救う事が出来ます。

科学は、人々の日々の小さな幸せを守るためにあるべきなんだと思います。争いを助長したり一部の人だけが得をするような使い方をしていたら、いつまで経っても世界全体が幸せになる日は来ないんだろうと思います。自然災害は起こる事自体は避けられない面もあると思うのですが、人の争いは避ける事が絶対に出来るはずなのです。それでも災害と同じかそれ以上の頻度で争いが起こっていてかつそれに科学の力も使われている世の中を見ると、人間が進むべき方向はこれで大丈夫なのかなと思ってしまいます。ちっぽけな争いをするくらいなら、もっと皆で協力して、自然災害の被害を最小限に留める努力をしていきたいです。そういう為に科学の力もフルに発揮出来ればと思います。

今日は10年前と同じ日本音響学会の研究発表会の最中です。コロナ禍で残念ながらオンラインでの発表会ですが、日本音響学会の会長の伊藤彰則先生の「災害と音響学」という特別講演があり、ちょうど講演終了時間が震災が起こった時間となりました。講演の中で、東日本大震災が起こった後に音響学会が災害に向けて音響学の視点から何か出来ないかと様々な方面からの研究を重ねてきた様子を伺い、大変刺激を受けました。自分も研究者の端くれとして、改めて、何か出来ないかなと思いました…。

また、この震災では原発についての大きな課題も見えてきました。正常に稼働している間はとてもクリーンなエネルギーで大変効率が良く、そういう意味では環境に良いエネルギーなのですが、このような事故が起こった際のリスクの大きさも同時に持つ技術であるという事が分かり、今後の対応については世界で判断が分かれている所だと思います。今後も使うべきなのか、使わないべきなのか…。使うとしたらどういう対策を取るべきなのか…。様々な議論が繰り返されていますが、まだ日本という「国」としての明確な答えは出ていないようですね。(個人的には、命に代えられる便利さなどはないと思いますが…)どちらにしてもこういう問題は、国や一部の研究者に任せるのではなく、国民全員が真剣に考えていくことが重要なのだろうと思います。自分に出来ることはまだあまりありませんが、ここで述べたように、問題について自分でもよく考え、そして、研究者の端くれとして何か技術的にも役に立てることがないか、日々考えていこうと思います。

 

 

東日本大震災の犠牲になられた方々のご冥福を、そして、被災され今も苦しい状況の中で頑張っておられる方々が少しでも前向きに幸せな生活を取り戻せることを、心よりお祈りします