人類は、また同じことを繰り返す?

私は日経新聞(電子版だけですが…)を愛読していて、毎日欠かさず読んでいる。とても感銘を受けるものや考えさせられるもの、中には世の中の暗い部分がありありと見えてもどかしくなるもの。どれも、自分の感性を磨く上でとても役に立つ記事である。しかも、私の感じる限り、かなりフラットな立場で記事を書いてくれているものが多いので、客観的に見られるのが良い。

今日はその中で、ちょっと気になった、思うところがある記事を紹介してみたい。(というか、心の声を発散したい・・・)

宇宙植民地主義、インドは「ロケット印刷」で挑む 追う新興国 – 日本経済新聞 2023年11月上旬、インド南部チェンナイ。理系最高峰インド工科大の一角、新興企業アグニクル・コスモスを訪ねた。「靴を脱い www.nikkei.com

人類が宇宙や月に飛び立って、新たな世界を切り開いていく、というのが現実味を帯びてきていることがよくわかる記事である。とてもわくわくする面白い記事である。

でも、中でも気になった部分がこれ↓

月には水や貴重鉱物が満ちていることもわかってきた。38万キロメートル先では早くも陣取り合戦が熱を帯びる。

・・・え?

ちょ、ちょっとまって・・・。

人類は、まだ誰のものでもなかった地球の土地を、陣取り合戦をすることで戦争というものを生み出してしまったのですよね?まさに今も戦争の悩みで多くの方が苦しんでいるこの状況で、また、同じことをしますか??せっかく一からやり直せる大チャンスの時に!まだ誰のものでもない月を、皆でどうするか・・・。
人間は、技術だけはいっぱしに成長させておいて、心はあんまり昔から変わっていないのかな・・・。(むしろ、世界の小学生を集めて彼らに決めて貰った方がよっぽど平和な手段が見つかるのでは…?)
せっかく、「宇宙条約」やら「アルテミス合意」などを作っておいて、結局は自分達の利益の為だけに頑張ってしまうのですかね・・・。大人というものは・・・。・・・そう、思いませんか?

月探査の国際ルールで合意 日米欧、平和目的・ごみ低減 – 日本経済新聞 政府は14日、米欧など計8カ国で、月や火星などの宇宙探査や宇宙利用に関する基本原則を定めた「アルテミス合意」に署名した。米 www.nikkei.com

合意では1967年発効の宇宙条約などの国際的な取り決めを守ることを確認。平和目的や宇宙ごみ対策のほか、自国の政策や探査計画の透明性の確保、宇宙空間での遭難に対する相互援助、科学的データの公開などを盛り込んでいる。

宇宙条約では、宇宙を平和的に利用しようとか、領有権は禁止とか、軍事利用禁止とか、色々ルールを整備していて、アルテミス合意は基本はそれを守ることを確認しつつ、さらにルール整備を進めているようですが・・・。

資源の帰属・事故の責任…宇宙法務を整備 大島日向さん(国連宇宙部で働く弁護士) – 日本経済新聞 宇宙空間は国家の主権も及ばない開かれた世界だ。そこで採れた貴重な資源は誰のものか。ルールがなければ、米国の開拓時代のように www.nikkei.com

ルール整備の行方は混沌としている。国連の宇宙条約は国家による天体の所有を否定するが、有志国による「アルテミス合意」に署名した米国や日本などは、宇宙資源には所有権が生じると考える。

何だか、結局ややこしくなってきているような・・・。
ぜひ、本当に平和的なルールを整備して欲しいです。

ちなみに、宇宙条約第一条の最初の文は下記のようになっています。

宇宙条約第一条
月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用は、すべての国の利益のために、その経済的又は科学的発展の程度にかかわりなく行われるものであり、全人類に認められる活動分野である。

個人的にこの中で大事な部分は、「その経済的又は科学的発展の程度にかかわりなく行われるものであり」という部分であると思っているのだけど、「全人類に認められる活動分野である」と書いていて、全人類にチャンスがあるといいながら、結局今の状況を見ると、お金と技術と力のある国だけが陣取り合戦に参加しているという構図になっていて、全然すべての国の利益ではない気がする・・・。「その経済的又は科学的発展の程度にかかわりなく行われるものであり」と第一条で書いてある以上、もっと全人類を巻き込んで平和的にやって欲しい。

なんか、もっと根本から考え直した方が良いのではないかな。どうせ領有したり領土したりするというのであれば、現在の各国のバランスをみて、途上国とかに優先的に分配するとか、そういう事をした方が長い目で見た時に世界全体で上手に発展していけるような気もするのですが…。(考えがぬるいですかね・・・)でも、人も国も、結局は持ちつ持たれつの関係の時が一番上手くいくのだから、全ての国が同様に発展していた方がお互いに助け合えて良いと思うのですよね・・・。
まぁ、それぞれの国で、例え先進国であっても、それぞれの問題や悩みを抱えていて、それをまず解決してから他の国のことを考えよう、という気持ちも分かるのですが、その考えを持っている限り人間の心は進化しない気もするんですよね・・・。国という境界に縛られてしまっているからね。

中々難しい問題かと思いますが、せっかく、宇宙に飛び出すという、人類にとって一からやり直せるチャンスの時代。皆で仲良く発展出来るチャンス!今までの人類の行いを改めて見直して、直すべき部分は直して、前に進めると、良いですね。

 

(書いていて、新聞ネタなら結構続くかも・・・、と、思いました。いつも記事を読みながら悶々としているので(笑)、いくらでもネタが出てきます。ということで、また気になる記事について書いてみようと思います)

不思議な夢・・・

 

不思議な夢をみた

自分の心の奥深くに落ちる夢。そこは、長方形型の暗い地下室のような場所だった。

天井は無く、上(心の表面?)まで届いているような感じ。

そこに、幼い自分がいる。それは笑顔でゆっくりと自分に近づいてくる。

自分も、動きが遅くゆっくりとしか動けない。

上から、沢山の声がする。

「それに触れちゃだめ。触れると戻ってこれなくなる!」

幼い自分が触れてこようとするところを、何とかかわしてゆっくりと宙に浮き、それから心の表面まで飛んでいった・・・。

う~ん。どんな意味があるのだろう・・・。不思議な夢でした。夢自体はとても長いもので、これはその中のワンシーンなんだけど、その前後の記憶はちょっと薄いのだけど、残っている記憶としては、一つながりの長い夢、ということでした。

自分は結構夢について、色々と面白い経験があるので、今後も書いていこうかなと思います。

今年こそは・・・

気付けば2024年・・・。2023年も結局あまり更新できなかったなぁと俯瞰しつつ、今年こそは頑張ろうと、毎年と同じことを思っております。

それでもあきらめずに、今年こそは頑張ってみよう!と、懲りずに挑戦してみます(笑)今年の自分の目標は、「言葉の力を鍛える」です。文章でも会話でも、言葉の使い方や重みや表現を上手く発揮して、自分の心をうまく表現できるようになりたいなと思っております。その為には、やっぱり繰り返し練習が必要ですよね。ということで、頑張ってせめてブログくらいは週に一回くらいのペースで出せたらなぁと思っております。あまり深く考えた文章でなくても良いし、日ごろ思っていることを少し書くだけでも良しとして…。特に、今まであまり自分自身の事を書いてこなかったような気もするので、今年はそこら辺も挑戦かな、と。

という事で、今年も懲りずに頑張ってみようと思います。

 

風評被害の根本にあるもの・・・

 

福島の原発の処理水の海洋放出について、今様々な意見が飛び交っている。いや、それ以前にも、様々な場面で風評被害の問題は沢山あった。何が原因なのかと言うと、科学というものが持つ特有の性質が根本にあるのではないかと思っている。(なお、風評被害を悪用して国政に使ってる、などの例は今回の話しの対象外とします)

今回の海洋放出も、科学的に調査がなされて、根拠に基づいて安全が保証された。にもかかわらず、やはり心配になる人は多くいるようだ。
科学の定義は色々あるが、科学哲学者のカール・ポパーという方が提唱している定義が大変分かりやすい。それは、科学というのは反証可能性がある、という事である。どういうことかというと、簡単に言うと、科学は失敗を受けいれる、ということである。とても共感できる考えである。科学は昔から、その時代の最先端の考えであり、どんどん新しいものを築きあげてきた。しかし、時代が代わり科学自体が進化すると、以前の科学に間違いがあることに気付き、そして人々はそれをきちんと受け止め、失敗を糧にさらなる進化を遂げてきた。宗教と対照的な点である。宗教の場合は神の言葉が元になっているため、その時点で完成しているものである。だから進化することはなく、常に明確なゴールがある(神の言葉の書物等について、解釈が進化する、ということはあると思うが…)。
恐らく、科学のこの点が風評被害に繋がっている面もあるのであろう。今までも、水銀やアスベストなど、人間の健康に関することで、当時の科学では気づかなかった現象が後々に分かり、実際に被害が出てしまっているという例もある。しかもその被害に対して国が保証する範囲において様々なもめごとまで起きている。そういう事実が、現在の科学で大丈夫と言われても不安になってしまう一因はあるのだと思う。
では、結局科学は信用してはならないのか?というと、それも違うと思う。間違えている可能性はひょっとしたらあるものの、やはり現時点で考えられる最善の策を示していることには違いはない。大事なことは、我々も”覚悟を持つ”ことだと私は思っている。以前、私のHP内(考える種~5粒目 信じる~ )にも書いたが、信じることが出来るか、という事が重要なのである。科学は万能ではないということもきちんと受けとめ、それでも今考え得る最善の策であるという事をしっかりと理解し、万が一それが間違いだった場合でも、それを受け止めようという心を持つことが、大事なのではないかな。人生の中で大きな判断が必要な状況は多々あるが、何かを強く”信じて”前に進むことが出来れば、不安は少しずつ減っていくものだと思う。その後に待ち受けるどんなことも受け入れる覚悟を持って前に進んでいけば、道に迷わなくなるのではないだろうか。そのためにも、今回の件も、科学的な根拠の説明はもっと具体的に、分かりやすく、客観的な視点から(これがとても大事。偏った情報にならないように…)、かつ何度も国民に提示してくれると良いと思う。
とは言え、万が一問題が発生した場合の国の保証など、もう少し丁寧に説明が欲しいし、もっと充実した保証も必要ではないかな、とも、思うのだが・・・。それと同時に、国民であり消費者である我々も、ただ待ちの姿勢になるのではなく、自ら情報を探しに行って、自らの力で判断材料を得るという姿勢も、大事なのであろう。国全体が向上していく時というのは、それが出来ている時なのだろうね。

まぁとにかく、受け手である国民自身も、覚悟を持って信じる、という前向きな姿勢も必要なのじゃないかな、というのが要点である。勿論、何を信じるかは人それぞれ自由である(科学を信じないという自分を信じる、という事も勿論、あり得るかと思う)。何を信じてもいいと思うので、まずは心から信じられるものを手に入れましょうか。

 

6歳の子供が尋ねてきたこと

 

「人間はなんで生きているの?」

「それはね、一人一人好きに決めていいことなんだよ」

すると子供はこう答えました。

 

「ぼくは楽しくなるために生きてるんだよ」

 

なかなかいいことを言うなぁ…と思いました。こう答えた子供の顔はとてもピュアな笑顔でした。“楽しさ”にも色々な種類があるけれど、きっと子供の頭の中には平和な楽しさが溢れているんだろうなぁ…。

とっさにこう答えられる大人って、どれくらいいるかな。人は成長する過程で色々な欲望や期待なんかを背負うようになっていくので、この質問に“即答する”のは中々難しいかもね。全ての大人がこんな純粋な願いを持って生きていたら、世界はもっと平和になるんだろうなぁ。

 

そんな子供も今日で7歳になります。

ということで、忘れないように書き留めておきました。

 

東日本大震災とウクライナ侵攻と、平和への願い・・・

今日で東日本大震災から11年が経ちますね。昨年は10年という節目だった事もあり、ニュースなどでも大きく取り上げられていましたが、今年は現在のウクライナの事情もあり、やや情報発信という部分では少ない感じもしますね。また、東日本大震災に関するいくつかの支援活動なども10年の節目で終了したという事も聴きます。一方で、あまり過度に情報が出回る事も、被災された当事者からすると思い出したくない記憶が蘇ってしまう事もあり、難しい部分もあるようですね。
僕がこの震災について記事を書いているのは(と言ってもまだ昨年と今年だけですが…)、おこがましいかもしれませんが、少なからず自分も当事者という認識があるからです。現地で被災された方に比べれば全く何も無かったのと同じようなものですが、それでも、当日は学会発表中に大揺れが来て皆で避難し、その日は帰れなくなり、皆で公民館みたいなところで一泊して、その翌日も大学には戻らず1週間程実家に帰って、その間も計画停電などを経験しつつ、現地の状況を日々ニュースで観ていた記憶があり、さらには学生としての、博士課程最後のイベントである卒業式も無くなったりと、色々な経験をしたことから、自分の事としてこの震災を受け入れている、というところがあるからです。
自分が体験していない事にも目を向けて後世に生かすという事もとても重要ですが、自分が体験した事を忘れずに発信する事も大事なんだろうなと思って、今この文を書いています。
そして、今はロシアのウクライナ侵攻の問題もあり、世界は大変な状況になっています。東日本大震災は自然による災厄ですが、ウクライナ侵攻は完全なる人災だと思います。しかし、やっと今、その人災の中で世界が手を取り合って協調して問題を解決しようとしていますね。皮肉な事ですが、人間は悪が生まれることによって一致団結して平和や正義が生まれるということが多々ありますね。(国レベルではなくもっと身近なグループでもそうですよね。共通の敵が出来ると団結するという…)彼の行動を肯定するつもりは全くありませんが、プーチンさんの行動が起点となって世界が団結したというのが何とも皮肉なものです。でもそれは逆に言うと、平時において団結する心が少なかったから、とも考えられるのです。もしも、数年前から今のように欧米日諸国が手を取り合って、自分達のリスクもきちんと受け止めつつ困っている人に手を差し伸べるような世界であったら、プーチンさんは果たしてウクライナに侵攻出来ていたでしょうか?恐らく無理だと思います。初めから皆が手を取り合っていれば、侵略する隙が無かったと思います。人間はどうしても、平時の間は自分達の利益優先でバラバラな行動を取ってしまうのでしょうね。
さらに考えてみると、国が自分達の利益しか求めないのも、国民一人ひとりが自分の利益しか求めないから、なのだと思います。国の行動は個人の行動の積分値だと思います。(今のロシアに関してはそうとも言えなさそうですが…。国民の総意が反映されない仕組みのようですね。でも今はロシア国内でも反戦デモが広がっているようなので、ぜひ国民の皆様の手でこの侵攻を止められたらステキですね)そしてそう考えると、今回の事態は世界の全ての人が引き起こした事態だとも言えると思うのです。バタフライエフェクトのように、私たち一人ひとりの小さな言動が、巡り巡って世界の反対側に大きな影響を与える可能性は多いにあるのです。そう考えて初めて、ウクライナ侵攻は他人事ではなく全世界の責任なのだと自覚ができるのだと思います。多分、この考え方が重要で、今回の事態を何とか上手く収められたとしたら、その後にしなければならない事は、我々一人ひとりがもっと協調して手を取り合って生きていくことを継続することなんだろうな、と思います。プーチンさんをただ否定したり裁くだけでは根本は解決しないと思います。ましてや、ロシア人全体に対して嫌悪感を抱くという風潮も一部では見られるようですが、それでは何も解決出来ないどころか、新たな差別や侵略が始まってしまう可能性すらあります。
上述のように、悪が現れた時に正義が立ち上がるのだとしたら、今まさにこの状況下において、悪を倒す事だけでなく我々人類が進むべき道を明確化して、平時に戻った時に忘れないように文面に残したりルールを制定したりする事も大事な事だと思います。
そして僕達が個人としてするべき事も、自分の利益の為だけに動くことではなく、困っている人たちを助ける為に動く事だと思うのです(当たり前の事なのかもしれませんが…)。人は一人では生きていけません。今後もまた独裁者が現れるかもしれないし、そうでなくとも、自然による大災害の危機は至る所で常にあります。世界の全ての人が手を取り合って行動していかないと、結局は皆で全ての不利益を被る事になってしまいます。自分達の利益の為だけに動く、と言っている「自分達」の枠組みが小さいのだと思います。今はそれが大きくてもせいぜい国一つのレベルだと思います。しかしそれは、自国の利益の為に他国には不利益を被って貰おうということを、平然とやっているのと同じです。だから国同士の争いが生まれるのです。他国を侵略しようという発想もそこから生まれます。もし、国を超えて困っている人を助けるという意識が多くの人に芽生えていたらどうでしょう?恐らく国という枠の境界線がもっと緩いものになると思います。人類全体で一致団結出来るようになるのではないかな。米国に比べて欧州諸国はエネルギー関連でロシアに依存している事から制裁に躊躇する場面もあるというニュースが出ていますが、そういう時こそ、欧州だけでなく米国も日本も混ざって、まずは欧州が被るであろうリスクを皆で分け合って負担を分担する、という流れを作る事も必要なのではないかなと思います。意外とまだ各国のリスクは各国それぞれの責任だと考えているところが多いような気がしています。エネルギー関係も、米国が欧州に比べれば比較的余裕があるのであれば、ロシアから調達出来なくなる分を少しでも欧州に渡してあげるとかの仕組みがあっても良い気もします(実際にはそういう話しは出ているのかもしれませんが、少なくとも一般的なニュースではあまり見かけないので、そういう取り組みが重視されているという事はなさそうな気がします)そんな感じで皆でリスクも不利益も分担しよう、という意識が世界にあると、もっと良くなると思うんですけどね…。
 短期的な利益はないかもしれませんが、困っている人を助けるという事は、未来の自分自身を助ける事に繋がるのだと思います。例え今自分が不利益を被るとしても…。空間的にも時間的にも、もっともっと広い視野を持って、その上で利益を求めるのなら、上手くいくのではないかな…。そうすれば、国も変わるし、国同士の関係も変わると思います。これは政治家だけに任せることではないような気がするのです。結局は一人ひとりの意識が全てに反映していくのだと思います。
と、長くなってしまいましたが、まぁ要するに、平和が一番だよね、という話しでした…
東日本大震災もウクライナ侵攻も、大きな被害を受けている人が大勢います。僕自身がこれらに対して出来る事としたら、東日本大震災に関しては、自分が持つ科学技術の知識や経験を活かして今後の災害支援や防災に役立つ何かを考え出し、生み出す事であり、ウクライナ侵攻に関しては、大きな事は出来ないけれど、こうやって意見を発信したりして意識を共有することくらいかなぁ、と思っています。後は募金するとかそれくらい。もしかしたら、自然災害より人災の方が止めるのが難しいのかもしれませんね…。人の心が関わってくると、今の科学の力だけではどうしようもない部分も出て来るので…。
でも、1人の力は大きくないかもしれないけど、1人ひとりがそれぞれの長所や特徴を活かして効果的に少しでも動けたら、少しは平和が近づくのかなぁと、感じています。
というわけで、皆で一緒に頑張りたいですね!!
#東日本大震災 #ウクライナ #ウクライナ侵攻

ありがとう2021、よろしく2022。

 

今年もあっという間に1年が過ぎようとしています。

僕にとって、このサイトにとって、2021年は特別な年だったので、ちゃんと総括しておこうかなと思い、最近更新がぱったりと途絶えていたサイトに久しぶりに投稿を書き始めました(笑)

今までずっと考えてきた教育の在り方や自分の考え方などをやっと形にしてサイトを作ったのが2021年の1月。一人の人間の心の内だけにあった想いを実際の形に創り上げ、周りに発信することが出来た、素晴らしい成果だと(自画自賛ですが)思います。…そして半年も経たない内に更新が途絶えるという…(笑)でもまぁ、長く継続出来るようにマイペースに進めると明言しているので、そこまで気にしないようにします。

でも、ちょっと振り返って思うことは、サイトに載せるのだからそれなりにしっかりと考えた上でページを作らなければ、と思いすぎていた節もある気がしているところです。勿論それは重要な事だとは思うのですが、それで腰が重くなってしまうくらいなら、多少その場の勢いでもいいから、どんどんページを更新して想いを発信していっても良いのではないかなと、最近思うようになってきました(後でページを修正することもいくらでも出来るし…)。なので、今回のこの投稿も、そこまで深く考えずに記念日的に勢いで書こうと決めて投稿することにしました。つまり、今文章を書いているこの時点で目的は達成という事ですね(笑)

兎にも角にも、2021年は良い年でした。ありがとうございました。あまり読者目線で作られていないサイトで、自分の勝手な想いをどんどん書くだけのサイトになってしまっていますが、それでもサイトに訪問して下さった方々、本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。

 

という事で、ここからが新年の書き初めになります。

 

今年も変わらず自分を発信していこうと思います。自分の考え方ややり方がどの程度周りに良い影響を与え得るかは分かりませんが、とりあえず自分を信じて進んでみようと思います。

元々、教育者を目指すようになったきっかけも、大学院で研究をしていた時、自分の性格的に友達が研究で素晴らしい成果を出した時にも心から喜べるタイプだという事を実感したことが大きな要因でした。自分は研究においてそこまで優秀な人間ではないという自覚もあったので、将来的に自分が何かを一人で成し遂げるよりも、沢山の人に研究を教えて、その人たちが沢山の成果を出してくれた方が何倍も自分も楽しいし、結果的に世の中に大きな貢献が出来るのではないかなと思い始めたところから、徐々に教育系に進んでみたいなと思うようになりました。研究者としてはどうかとも思うのですが(笑)、僕の場合、自分が成果を出すという事にそこまで拘っていないんですよね。それよりは、こうあって欲しい世界というのがあって、それが実現できるのであれば、それを成し遂げるのが自分じゃなくてもいいや、という考えなんです。だから研究者としては大成しないんでしょうね(笑)

と、そういう考えなので、このサイトを通して自分の考えを色々発信して、少しでも読んでくれた人の心に何かが残って、それによって少しでも世界が変わってくれれば言う事ないというわけです。なので、今行っているこの活動は、自分のやり方には合っているんじゃないかなぁと、思っているわけです。

とはいえ、自分の考え方を押し付けるつもりも毛頭ありませんので、気に入った部分があった場合だけ、ちょっとでも参考にして頂ければ、幸いです。

 

というわけで、今年も色々と頑張っていこうと思います。

どうぞよろしくお願い致します。

東日本大震災から10年が経ちました

 

今日は東日本大震災からちょうど10年。

10年前のこの日、僕は日本音響学会の研究発表会で早稲田大学に来ておりました。後輩が発表するセッション中に地震が来て、その大きさに一時中断して皆で建物の外に出たのを今でも覚えています。結局学会もそこで中断。しかし電車は全てストップし、近場の役所が開放されていてそこで一晩皆で過ごしました。そして、役所のテレビで現地の惨状を観ていました。

実は、この震災による被害の大きさや被災者の方々の辛さは、理解しているつもりで、どこか他人事のように感じていた事に、恥ずかしながら最近気が付きました。

自分に子供が出来て、彼らへの愛情が増す度に、彼らを失う事の辛さも理解出来るようになってきました。その上で色々なニュースや記事で被災者の皆様の話を観て、初めてその辛さを自分の事として想像出来るようになってきたのです。(でもこれもあくまでも“想像”なので、実際に被害に逢われた方々の本当の辛さや苦労は、当事者にしか本当には分からないものだと思います。それでも、少しでも、他人事ではないという感情を持てるようになりました。)

そして子供が出来て、今ある日常がどれだけ幸せな事なのかも実感出来るようになりました。例え日々色々と嫌な事や大変な事があったとしても、毎日子供に会えて、夜一緒にくっついて寝られるという事がどれだけ幸せな事か…。

 

こういう災害を観ていると、これこそ正に科学の力が本来発揮されるべき場所なんだと思います。震災後に防潮堤の建設やその他様々な対応がなされていますが、もし…、もしも、もっと前から災害の可能性を検知出来て、未然の対応が出来ていたらと思うと、まだまだ科学はやらなければならない事が沢山あるのだと思いました。災害が起こる可能性や起こりそうな場所をより正確に把握して、災害を未然に防ぐ。それが出来れば数え切れない程の未来の命を救う事が出来ます。

科学は、人々の日々の小さな幸せを守るためにあるべきなんだと思います。争いを助長したり一部の人だけが得をするような使い方をしていたら、いつまで経っても世界全体が幸せになる日は来ないんだろうと思います。自然災害は起こる事自体は避けられない面もあると思うのですが、人の争いは避ける事が絶対に出来るはずなのです。それでも災害と同じかそれ以上の頻度で争いが起こっていてかつそれに科学の力も使われている世の中を見ると、人間が進むべき方向はこれで大丈夫なのかなと思ってしまいます。ちっぽけな争いをするくらいなら、もっと皆で協力して、自然災害の被害を最小限に留める努力をしていきたいです。そういう為に科学の力もフルに発揮出来ればと思います。

今日は10年前と同じ日本音響学会の研究発表会の最中です。コロナ禍で残念ながらオンラインでの発表会ですが、日本音響学会の会長の伊藤彰則先生の「災害と音響学」という特別講演があり、ちょうど講演終了時間が震災が起こった時間となりました。講演の中で、東日本大震災が起こった後に音響学会が災害に向けて音響学の視点から何か出来ないかと様々な方面からの研究を重ねてきた様子を伺い、大変刺激を受けました。自分も研究者の端くれとして、改めて、何か出来ないかなと思いました…。

また、この震災では原発についての大きな課題も見えてきました。正常に稼働している間はとてもクリーンなエネルギーで大変効率が良く、そういう意味では環境に良いエネルギーなのですが、このような事故が起こった際のリスクの大きさも同時に持つ技術であるという事が分かり、今後の対応については世界で判断が分かれている所だと思います。今後も使うべきなのか、使わないべきなのか…。使うとしたらどういう対策を取るべきなのか…。様々な議論が繰り返されていますが、まだ日本という「国」としての明確な答えは出ていないようですね。(個人的には、命に代えられる便利さなどはないと思いますが…)どちらにしてもこういう問題は、国や一部の研究者に任せるのではなく、国民全員が真剣に考えていくことが重要なのだろうと思います。自分に出来ることはまだあまりありませんが、ここで述べたように、問題について自分でもよく考え、そして、研究者の端くれとして何か技術的にも役に立てることがないか、日々考えていこうと思います。

 

 

東日本大震災の犠牲になられた方々のご冥福を、そして、被災され今も苦しい状況の中で頑張っておられる方々が少しでも前向きに幸せな生活を取り戻せることを、心よりお祈りします

 

国際女性デー International Women’s Day

今日は(といいながら実は日が過ぎてしまった…。3/8です)は、国際女性デーという日です。今まで頑張ってこられた勇気があって多くの決断をされてきた女性を祝う日で、女性のこれからの生き方を考えていくイベントなども世界中で開催されています。僕が所属しているIEEEの中にもWIE (Women in Engineering)というグループがあって、僕も所属しており、このグループでもこれに関連した活動を活発に行っているのですが、最近全くお役に立てていないので、ちょっと自分なりにブログでも更新しようと思い、記事を書きました。そもそも本サイトも、根底にある考え方としてはこれが重要な点になっています。

本サイトの「ごあいさつ」の中でも、日本では女性が科学技術力を高めて社会で活躍する場が少ないという事を書きました。そして本サイトでは、そんな人たちの為に家庭にいながらにして研究を行う術を持てるような場を提供したい、と書きましたが、もちろん、女性が社会に出ないほうが良いよ、と言っているわけではありません(笑)

今の世の中は、遥か昔から男性が支配して男性によって支持されてきており、ある意味かなり偏った考え方に基づいて出来上がっている社会だと思います。個人的な見解ですが、男性と女性はそれぞれ違った能力を持っていると思っています。男女が平等な権利を持つのは必須だと思いますが、男女が同じ能力を持つ必要もないと思っています。僕が感じている女性の優れた点は、協調性(共感・共有能力)、コミュニケーション能力、包容力(許容能力・適応力)が高いところだと思います。一方男性の強みは、感情に流されない決断力、リスクを背負ってでも目標に突き進む貪欲さが高いところだと思います。もちろん、全員に言えることではないし、そうあるべきではないとも思います。あくまで全体的な傾向としてはそうかなと思うレベルです。ただ、社会のように人が沢山集まって母数が増えてくると、相対的にその傾向が顕著になるのではないかと思うのです。生物学的にも男女はかなり違いがあるので、それらが性格や能力にも一定の影響を及ぼしても良いのかなと思っています。さて、それを踏まえると、今の世の中は、男性だけが集まって出来上がってしまった社会で、男性の強みだけが強調されてしまった結果なのだと思うのです(上述した強みを考えると、平和的な社会を作るには女性の方が向いているとも思うんですけどね…)。

この中に女性が入っていくことは相当大変な事だと思います。それでも一生懸命頑張って改革を進めているのが現状だと思うのです。ただ、中々難しいなと思う点は、(これは個人的なちょっと偏った考えかもしれませんが)世界の最先端で頑張っている女性の中には、男性の競争社会の中で生きていくために、女性であるけど男性に負けないように男性の土俵で男性以上に頑張っている方も結構いるのではないかと思うのです。まだまだ男性色が強い場所ではそれは必要な事であると思うのですが、女性が女性らしく、特有の能力を十分に発揮出来る世界が早く来てほしいなと思います。もちろん今世界で頑張っていることをさらに突き進めて、女性の比率が上がっていけば自然とそうなっていくと思います。ただ、今のような競争社会の中では、すべての女性が頑張っていけるわけではないとも思うのです。というより、むしろ男性であっても今の世の中で生き残るのが難しいという人も多いように感じています。それは、今の世の中が「競争社会」だからだと思うのです。競争は、生物が進化を遂げて生き延びていく上で必須のもので、人間もそのおかげで進化してこられたのだと思うのですが、ここまで進化した人間なら、無理に「競争」しなくても十分に進化しながら生き延びることが出来ると思うのです。SDGsでも、「誰一人取り残さない」事を目指しているそうですが、この考えは競争とは真逆ですよね。競争ではなく(もちろんある一定の競争は残っても良いと思います。淘汰する競争ではなく高め合う競争なら…)、そろそろ「協調社会」になっても良いのではないかと思うのです。むしろそれが人間の一番の能力だと、思ったりします。でも今は男性だけの偏った社会だからそれが出来ていないのだと思うのです。昔から、女性ももっと表に出られる社会であったら、今世界が抱えている「貧困」や「飢餓」や様々な「環境問題」も、もしかしたらずっと少なく、ひょっとしたら存在すらしていなかったかもしれないと、思いませんか?上述した男女両方の強みが合わさったらそれが十分可能だと思うんですよね。だから、これら全ての問題を解決するためにも、女性の社会進出はもっと加速していかなければならないのだと思うのです。

ただ、上でも述べたように、それでも今の競争社会にはすべての人が入っていけるわけではないんですよね。でも、だからと言ってそれが能力の低さを表していることにもならないと思うんです。僕は、そんな人たちが活躍できる場を提供できたらなと思っています。それが、「趣味としての研究の”塾”」という考えなのです。敢えて社会に飛び込まずとも、今いる場所から、趣味として、塾の中で研究できる場があったら良いなと。そうすれば、どんな性差もなく、利害関係もしがらみもなく、純粋に皆が仲間として集まり、好きな研究に没頭する。そしてあわよくば、その結果として世界を変えるようなアイディアや技術が生まれたら、素敵だと思いませんか?ちょっと逃げのように感じるかもしれませんが、このように今の社会にはどっぷりと浸からずに、一歩引いた環境で各性別の人がそれぞれ自分を自由に発揮できる場があるというのも、選択肢の一つとしては良いのではないかと思い、本サイトを進めていっているのです。

今回はイベント的にもメインで「女性」が強調されていますが、LGBTを含めたすべての性の人たちが同じように平等に生きられる世界になって欲しいと思います。

 

そういうわけで改めて、本サイトでは、すべての人が平等にそれぞれの能力を発揮して、それを共有し、喜び合えるような場を提供していけるように頑張っていきたいと思います。

プライバシーポリシーと免責事項のページを追加しました

サイトの質の向上やら工夫やらを色々していこうと思い、Googleアナリティクスを入れて解析もしていこうかと考え(まだ全く使い方が分かっていませんが…。何となく、今日サイトに何人来てくれたのかな?というのが分かるという事は分かるのですが…。)、それに伴ってプライバシーポリシーと免責事項のページを作ってみました。ページの解析には多少の個人情報が含まれる(勿論個人は特定できませんが)ので、プライバシーポリシーは必要そうで、色々と調べてみましたが、書き方とか、中々難しいですね。分からない部分は色んな雛形やサンプルの一部をお借りしながら書いたので不十分な点が多いかもしれませんが、とりあえずという事でアップしました。今後、色々と更新していくかもしれませんが、その都度情報を発信していきます。

それにしても、色々調べているうちに、インターネット上で情報を発信するという事は、色々と便利だけど、同時に色々なリスクも生じる可能性もあるものなんだな、という事が少し分かりました。人を幸せにしようと思って情報を発信したつもりが、予期せず人を不幸にしてしまう事もある、という事なのだろうなと思い、肝に銘じることにしました。やっぱり人って難しい生き物ですよね…。